COLUMN

2021/08/20
婚活

人生100年時代における“晩婚化”とは?

 沖縄えんまーる大使に任命されたご縁で、婚活コラムを担当しているライターの真境名育恵(マジキナイクエ)です。

 前回は身近な事例から“婚活の成功事例”を、知人の体験談を元に書きました。

 今回は沖縄県の50歳時未婚率が男女ともに、全国の中でも非常に高いという現実から「人生100年時代の晩婚」という視点で、身近な人物のエピソードを交えて書いてみたいと思います。

晩婚の定義とは?

 人生100年と言われる時代においての「晩婚」とは何歳からを指すのでしょうか?まず50歳時未婚率とは、日本政府が人口の統計において用いている用語であり、50歳になった時点で一度も結婚をしたことがない人の割合を意味する言葉です。この50歳時未婚率、平成27年(2015年)には沖縄県の男性は全国1位、女性は5位と、全国の中で未婚率が最も高い結果となりました。

 とここで、巷でいう「晩婚化」とは何歳からを指すのでしょうか?

 調べてみると、日本の平均初婚年齢(男女共に30歳前後)を過ぎて結婚した場合を晩婚と呼ぶそうです。                         

(*平均初婚年齢は夫 31.1 歳、妻 29.4 歳。引用元:厚生労働省

 果たしてこのコラムを読んでくださる方々の周辺では、30歳前後の結婚が一般的でしょうか?

 筆者自身は「35歳で結婚、5年間の妊活を経て40歳で妊娠・出産」という、平均年齢から5年ズレた形で結婚も妊娠・出産も経験した身でして、実際、学生時代の友人間では最後に結婚したケースとなりました。ましてや「40歳での第一子妊娠」というのは生物学的にも、レアケースと言われているので余程の幸運が重なったと言えるかもしれません。

 しかしながら「人生100年の時代」と言われる時代、40代での結婚が「晩婚」と呼ばれることに、若干の違和感を感じるのは私だけではないかと思うのです。

 ここで手前味噌ですが、私の身内の事例を紹介すると、県内国立大学を卒業後、語学留学もかねてイギリスの大学へ進学。

 帰国後、大手企業に就職し語学スキルを活かした仕事に邁進するうちに、いつの間にか30代に突入、その頃には同時期入社の同僚女性のほとんどが結婚していく反面、結婚後、女性が仕事をしながら出産・育児をする環境が整っておらず仕事を辞めていくケースが多かったようです。

 (令和3年6月に「育児・介護休業法」が改正されました。男性が育児休業取得しやすい柔軟な社会へ段階的にシフトしていくことで、女性がライフスタイルの変化に左右されることなく、正社員として働き続けることが出来る環境が整備されることに期待します。)

人生100年時代に必要な貪欲さ

 以前の私のコラムで結婚相手に出会う場として“職場”を挙げましたが、今回の事例の場合は、語学スキルもあり仕事の能力が高すぎる彼女に、同僚男性の殆どが「高値の花」と認定し、なかなか恋愛に発展しないという現実もあったようです。

 そんな彼女、40代後半に差し掛かった頃には、半ば結婚を諦めて仕事の余暇で海外旅行を楽しみながら独身生活を謳歌していました。

 ある時、国内の旅行会社のパッケージツアーに参加したところ、ツアーにバツイチの中南米二世の男性が同席。

 旅先で外国語堪能な頼りになる彼女をいたく気に入り、帰国後デートに誘われて交際に発展、一年以内にプロポーズされ結婚に至ったのです。

 彼女は、お付き合いしている段階で「年齢的に子供は望めないと思う。」と伝えたところ、彼は一度目の結婚で子供をもうけたので、さほど二人の間に子供を持つことにこだわりはないことや、共通の趣味である旅行を楽しみながら二人の生活を楽しみたい!とプロポーズ。現在、幸せな結婚生活を送っています。

 こちらのケースの場合、役職についていることもあり職場では気の張っていることの多い彼女が、仕事を離れて等身大の自分でいられる場面で知り合った男性だったからこそ、結婚に繋がった部分もあるのではないかと思われます。

 このように、いわゆる世間的に晩婚と言われるケースでも、自分の能力を思う存分生かせる職場で納得のいくキャリアを積んだあと、価値観や趣味の合うパートナーと後半の人生を充実させながら生きるという選択は、とても素敵だと感じた次第です。

 人生100年と言われる時代、長い人生を共に歩むパートナーの存在は人生を豊かにすると思いますし、年齢に囚われることなくキャリアもパートナーも楽しみながら手に入れる貪欲さも、必要なのかも知れません。

~あなたの幸せは、きっと誰かを幸せにする~

この記事を書いた人

シンカイ企画 真境名 育恵

シンカイ企画・フリーライター

那覇市出身・在住。沖縄国際大学(短期大学部)国文科卒業。

ローカル雑誌ライター、環境保全NPO職員、那覇市教育委員会、沖縄産ソーシャルメディアに勤務。向こう見ずな性格ゆえ様々な職を経て2012年、フリーランスライターと成る。縁ある人やモノの背後にある思いやストーリーを伝えられるよう日々精進。

モットー:「どんな日も取材日和」

平成30年度、令和元年度「沖縄えんまーる大使」就任

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